書誌種別 |
図書 |
タイトル |
国語教育における「主体」と「ことばにならない何か」 |
並列タイトル |
Agency and“Things Beyond Words”in Japanese Language Education:In Search of the Foundation of Finding Their own Words |
タイトルヨミ |
コクゴ キョウイク ニ オケル シュタイ ト コトバ ニ ナラナイ ナニカ |
人名 |
佐藤 宗大/著
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人名ヨミ |
サトウ タカヒロ |
出版者・発行者 |
ひつじ書房
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出版者・発行者等ヨミ |
ヒツジ ショボウ |
出版地・発行地 |
東京 |
出版・発行年月 |
2024.11 |
ページ数または枚数・巻数 |
8,174p |
大きさ |
22cm |
価格 |
¥3800 |
ISBN |
978-4-8234-1263-9 |
ISBN |
4-8234-1263-9 |
注記 |
文献:p161〜165 |
分類記号 |
375.8
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件名 |
国語教育
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件名 |
Kant Immanuel
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件名 |
カント イマヌエル
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内容紹介 |
国語教育における言語運用能力主義を問い直し、学習者の「主体」を形成する場として国語教育を再構築。さらにカント哲学の視座からことばの学びを描き出すことで、国語教育学と哲学とのあるべき関係を示す。 |
著者紹介 |
栃木県生まれ。広島大学大学院人間社会科学研究科博士課程後期修了。博士(教育学)。専門は国語教育学。 |
言語区分 |
JPN |
タイトルコード |
1009812806253 |
目次 |
序章 |
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1 問題の所在/2 本研究の目的/3 本研究の方法/4 本研究の意義 |
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第1章 カント哲学における合理的行為者性 |
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1 問題の所在/2 研究の方法/3 『第一批判』における物自体(Ding an sich)/4 物自体の領域と「超越論的自由」-合理的主体の理論的形成-/5 今ここの「わたし」を支え、別のあり方へと開く主体-合理的行為者性と「二世界説」-/6 まとめ |
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第2章 哲学と教育学、国語教育学の連続と断絶 |
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1 問題の所在/2 研究の方法/3 カント哲学とヘルバルト教育学-カント主義者としてのヘルバルト?-/4 ヘルバルト以後の国語教育における哲学受容とその課題-解釈学を例として-/5 哲学と国語教育とのこれから-「開いた体系」としての国語教育学- |
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第3章 国語教育の根源的問題意識 |
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1 問題の所在/2 研究の方法/3 国語教育学に伏流する認識論的課題-西尾実の「行的認識」概念の分析から-/4 「第三項理論」批判-物自体としての<第三項>-/5 まとめ-西尾から田中へ、そしてその先へ- |
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第4章 「ことばにならない何か」による「わたし」の形成と合理的行為者性 |
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1 問題の所在-「主体」なき「主体性」論議?-/2 「主体的・対話的で深い学び」と「主体」をめぐる問題/3 「主体」を育てる国語教育/4 「ことばにならない何か」で「主体」を形成するための授業構想-「ごんぎつね」に「声なき声」を聞く文学教育-/5 まとめ-カント哲学の課題としての国語教育というアプローチ- |
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第5章 「ことばにならない何か」と出会う文学の教室 |
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1 単元設定の理由-「言語運用能力が高い」と「ことばの力」も高いのか?-/2 実践授業の概要/3 単元の詳細/4 各時の展開/5 単元への考察/6 実践から理論を振り返って-ことばの限界に直面し、「ことばにならない何か」と対峙しながら自分のことばを獲得する「主体」の姿- |
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結章 「ことばにならない何か」からはじまる国語教育とは何か |
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1 教師の働きかけはどのようにあるべきなのか?-教室における教師の「主体」の姿-/2 「主体」を「評価する」こと-国語教育における評価の二重性-/3 「主体」の共同体へ-「目的の王国」としての(国語)教室?- |
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終章 本研究の総括 |
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1 研究の成果/2 本研究の課題と展望 |