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資料の状態
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No. |
資料番号 |
資料種別 |
請求記号 |
配架場所 |
状態 |
貸出
|
1 |
0015510878 | 図書児童 | C160/イシ/ | 書庫 | 貸出可 |
○ |
2 |
0016288912 | 図書児童 | C160/イシ/ | 1F児童 | 貸出可 |
○ |
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書誌情報サマリ
タイトル |
宗教を「信じる」とはどういうことか
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人名 |
石川 明人/著
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人名ヨミ |
イシカワ アキト |
出版者・発行者 |
筑摩書房
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出版年月 |
2022.11 |
書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
書誌種別 |
児童図書 |
タイトル |
宗教を「信じる」とはどういうことか |
シリーズ名 |
ちくまプリマー新書 |
シリーズ番号 |
415 |
タイトルヨミ |
シュウキョウ オ シンジル トワ ドウイウ コト カ |
シリーズ名ヨミ |
チクマ プリマー シンショ |
シリーズ番号ヨミ |
415 |
人名 |
石川 明人/著
|
人名ヨミ |
イシカワ アキト |
出版者・発行者 |
筑摩書房
|
出版者・発行者等ヨミ |
チクマ ショボウ |
出版地・発行地 |
東京 |
出版・発行年月 |
2022.11 |
ページ数または枚数・巻数 |
253p |
大きさ |
18cm |
価格 |
¥880 |
ISBN |
978-4-480-68439-4 |
ISBN |
4-480-68439-4 |
分類記号 |
160
|
件名 |
宗教
/
信仰
|
内容紹介 |
科学の時代に神を信じることは出来るか? 宗教はこの世の悪をどう説明するのか? 宗教は人を善良にしたり、世界を平和にするのか? 素朴な疑問を通して、宗教と人間のリアルに迫る。 |
著者紹介 |
北海道大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。桃山学院大学社会学部教授。著書に「キリスト教と日本人」「キリスト教と戦争」など。 |
言語区分 |
JPN |
タイトルコード |
1009812630938 |
目次 |
はじめに |
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信じる者は救われる?/宗教以外にも「信じ」ていること/本書の狙い |
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第一章 そもそも「信じる」とは、どういう行為なのか |
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現代人は本当に宗教を「信じていない」のか/よくわからない「信仰」という言葉/「信じる」という動詞のさまざまな使われ方/正しいことは、わざわざ「信じ」なくてよいのでは/そもそも何を信じているのか/本当に信じていたら、むしろ「信じている」と言わなくなるのでは/「信じています」と言えば信者なのか/キリスト教徒は、本当に聖書を「信じ」ているのか/お金についての教えも「信じ」ていない?/むしろ「信じ」られない部分が必要なのか/信徒たちの「信仰」は、実はさほど徹底したものではない/宗教に限らない人間一般の傾向/マザー・テレサにおける「神の不在」/そもそも神は「信じ」る対象なのか/イエスは「信じること」にこだわったのか/イエスが人生の最期で口にした言葉/神を信じているならば、かえって疑いを口に出せるはず/「信じ」ているから、文句を言える/「素直に」という副詞は「疑う」という動詞にこそふさわしい/あまり「こだわらない」ようにする/よくわからない「信仰」 |
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第二章 神を「信じ」ているとき、人はそれをどう語るのか |
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宗教を信じることは非科学的な態度なのか/宗教は科学を排除しない/「祈り」で砲弾から兵士を守れるのか/ダライ・ラマの発言/「祈り」のいろいろな側面/「主の祈り」は利益や幸福をお願いするものではない/祈りは「お願い事」ではない/ニーバーの祈り/ガリレオ裁判/神は「二つの書物」を書いた/神の存在を論証しようとするということ/神と古代の哲学者たち/「神が世界の知性である」/宗教的なピュタゴラス/宗教を批判するが、神は否定しない/「万物は魂と神々に満ちている」/神々に対するちょっぴり冷めた見方/宗教は民衆をコントロールするためのもの?/ソクラテスの告訴状/神を「信じ」たソクラテス/プラトンの宗教論/神は人間的な事柄を配慮するか/エピクロスにおける「神」/妙な「神」を信じている方がよっぽど不敬虔/宗教に批判的な立場の諸相/「無神論」という概念の広さ/ニーチェの「神は死んだ」/神の死の神学/「存在しない神に祈る」/「神は存在しない」/「神なしで生きる」/「神を棄てる」「仏を殺せ」/「信じる」の奥行き |
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第三章 この世には悪があるのに、なぜ神を「信じ」られるのか |
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耐えられない試練などない?/切実な願いも叶えられない現実/なぜ神は日本人の「悪」を放置したのか/「神義論」という問い/『なぜ私だけが苦しむのか』/不幸の理由を説明するいくつかのパターン/教育的な効果があるのか、死後の世界で埋め合わせがなされるのか/問いそのものを考え直す/ヨブの物語/「神が支配していないことがらもある」/すべてのことに理由があるわけではない/アウシュヴィッツについては「神は防ぐことができなかった」/神を「信じ」てはいるけれども/誰もが納得できる答えはない/抗議の神義論/「わからない」のに、なぜ「信じる」と言い切れるのか/幸福を得るために「信じ」ているのではない?/星野富弘の場合/口で文字と絵をかく/「神様がたった一度だけ、この腕を動かして下さるとしたら」/本当の死の時まで/「でも神さまありがとう」/三浦綾子の影響/「得たものの方が多い」/幸せとは何か/「信じる」とはいったい何か |
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第四章 同じ宗教を「信じ」ていれば、人々は仲良くできるのか |
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宗教は「個人の心の問題」?/イソップ寓話と聖書/「目からうろこ」や「復讐するは我にあり」/旧い契約と、新しい契約/新約聖書の内容/イエスは何も文章を書き残さなかった/宗教は集団で営まれるもの/人間の「標準化」としての宗教/信徒たちは平和の教えを「信じ」ているのか/キリスト教は本当に「非暴力」?/キリスト教徒たちは武力行使に躊躇しない/絶対平和主義と非暴力主義は少数派/宗教は「戦争の原因」であるとは言えない/宗教は「平和の原因」であるとも言えない/キリスト教は最初から「一つ」ではなかった/愛と平和を唱えていても喧嘩をするのが人間/教派間の対話と協同へ/「多くの宗教がある」という難問/異なる宗教とも仲良くしようとする動き/信仰を捨てることは悪なのか/芥川龍之介『おぎん』/おぎんらの棄教は悪魔にとって「成功」だったのか/何が正しいのか |
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第五章 神を「信じ」たら、善良な人間になれるのか |
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「人格者」になりたい私たち/よい生き方と学問/「ヒューマニティーズ」とは何か/「人間性」と「教養」/人文系学問に期待されていたもの/人文系の学者は人格者なのか/武道やスポーツや芸術で「人格者」になれるのか/やっぱり「宗教」なのか/弱い人々のために無償で働く/身代わりになって死んだ神父/生徒に鞭打つ聖職者/ラフカディオ・ハーン「お大の場合」/聖職者たちによる加害/教会でも人間関係の衝突がある/信仰は人を善人にする魔法ではない/ダビデ王の悪事/無宗教者・無神論者であれば善人になれるのか/プラス面もマイナス面もある/キリスト教徒であることにこだわらない/愛とは面倒くさくて嫌なもの/愛も憎しみも、人間は知らない |
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あとがき |
目次
内容細目
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