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1 0015738404図書一般134.96/ハイ21/1F人文貸出可 

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書誌情報サマリ

タイトル

身体忘却のゆくえ

人名 高屋敷 直広/著
人名ヨミ タカヤシキ ナオヒロ
出版者・発行者 法政大学出版局
出版年月 2021.2


書誌詳細

この資料の書誌詳細情報です。

書誌種別 図書
タイトル 身体忘却のゆくえ
サブタイトル ハイデガー『存在と時間』における<対話的な場>
タイトルヨミ シンタイ ボウキャク ノ ユクエ
サブタイトルヨミ ハイデガー ソンザイ ト ジカン ニ オケル タイワテキ ナ バ
人名 高屋敷 直広/著
人名ヨミ タカヤシキ ナオヒロ
出版者・発行者 法政大学出版局
出版者・発行者等ヨミ ホウセイ ダイガク シュッパンキョク
出版地・発行地 東京
出版・発行年月 2021.2
ページ数または枚数・巻数 8,232,15,10p
大きさ 22cm
価格 ¥3800
ISBN 978-4-588-15112-5
ISBN 4-588-15112-5
注記 文献:巻末p1〜15
分類記号 134.96
件名 存在と時間
件名 Heidegger Martin
件名 ハイデッガー マルティン
内容紹介 <対話の場>はどこにあるのか? ハイデガーにおける<身体忘却>のゆくえを考察することによって、「存在と時間」から<対話的な場>を明らかにし、自己と他者の新たな共存在像を提示する。
著者紹介 岩手県出身。法政大学大学院人文科学研究科哲学専攻博士後期課程修了。同大学・浦和大学特別招聘講師など。博士(哲学)。専門領域はハイデガーを中心とする現代思想、身体論、倫理学。
言語区分 JPN
タイトルコード 1009812469631
目次 序論
第1節 本書の目的/第2節 先行研究の現状と課題/第3節 本書の考察方法/第4節 本書の構成
第1章 存在了解の遂行の<場>
第1節 「時間」への問いから<場>への問いへ/第2節 ハイデガー時間論の解釈史-時節性の未完と自然の関係を手掛かりに/第3節 『存在と時間』における自然概念の読解-純然たる眼前性への示唆/第4節 『存在と時間』の時間論がもつ限界の検討-ドレイファス説を通じて/第5節 自然を誤解する「自然時間」-ドレイファス説の制限/第6節 存在了解の遂行の<場>-自然における被投的な「身体」に定位して/第7節 <対話的な場>の究明へ-<身体忘却>の考察を手掛かりに
第2章 実存論的な空間性を可能にする<場>
第1節 『存在と時間』における現存在の「身体」への問い/第2節 ハイデガーの身体問題をめぐる新たな戦場-「身体・霊魂・精神」の破壊/第3節 「身体」を<場>として解釈する視点-セルボーン説を手掛かりに/第4節 実存論的な空間性の根源性-アルワイス説を手掛かりに/第5節 「空間を許容すること」に対する「身体」の関係/第6節 「方向づけ」の根拠に対するハイデガーのカント批判/第7節 実存論的な空間性を可能にする<場>としての「身体」
第3章 身振りとしての<場>
第1節 「身体」と「語り」の連関への問い/第2節 「語り」をめぐるハイデガー身体論の解釈史-「身振り」の解釈へ向けて/第3節 「身体」と「語り」の日常的な連関の提示-ヴァルデンフェルス説を通じて/第4節 「身体」と「語り」の連関の存在論的根拠-ヴァルデンフェルス説の制限/第5節 思索の身振り-バウアー説を手掛かりに/第6節 身振りの固有な空間性としての「場」-バウアー説の検討/第7節 『存在と時間』における身振りとしての<場>-「身体」と「語り」の存在論的な連関
第4章 現事実的で異質な他者と出会う<場>
第1節 現事実的で異質な他者への問い/第2節 共存在の解釈史-事実性および「身体」を手掛かりに/第3節 共存在の解釈における被投性の重視-クリッチリー説を通じて/第4節 「根源的な非本来性」から<現事実性>へ-クリッチリー説の制限/第5節 「身体」と共存在-ミヒャルスキー説を手掛かりに/第6節 現事実的な共存在-ミヒャルスキー説の検討/第7節 現事実的で異質な他者と出会う<場>-「身体」に基づく共存在
第5章 「語り」の遂行としての<対話>
第1節 「語り」の遂行への問い-おしゃべりとの対決としての『存在と時間』/第2節 ハイデガー言語論の解釈史における「言うこと」と「名付けること」/第3節 ギリシア哲学からの影響-「オノマ」と「レーマ」の解釈を手掛かりに/第4節 『存在と時間』における「名付けること」の用法-実存疇に定位して/第5節 『存在と時間』における「言うこと」の用法-「名付けること」との連関をめぐって/第6節 真理に即した「言うこと」の新たな意義と「聞くこと」/第7節 「語り」の遂行としての<対話>-現存在と存在の呼応関係
第6章 『存在と時間』における<対話的な場>
第1節 「倫理」への問い-「語り」の反復に定位して/第2節 根源的倫理の解釈史-『存在と時間』における「倫理」をめぐって/第3節 『存在と時間』における存在の近さと言葉-ケッテリング説を手掛かりに/第4節 「語りとしてのロゴス」と「現」の開示性/第5節 「言うこと」と「名付けること」に基づく「倫理」-存在との<対話>/第6節 現存在と共現存在の「倫理」-他者との<対話>/第7節 『存在と時間』における<対話的な場>-<身体忘却>のゆくえ
結論



目次


内容細目

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