書誌種別 |
図書 |
タイトル |
<他者>としての古典 |
サブタイトル |
中世禅林詩学論攷 |
シリーズ名 |
研究叢書 |
シリーズ番号 |
464 |
タイトルヨミ |
タシャ ト シテ ノ コテン |
サブタイトルヨミ |
チュウセイ ゼンリン シガク ロンコウ |
シリーズ名ヨミ |
ケンキュウ ソウショ |
シリーズ番号ヨミ |
464 |
人名 |
山藤 夏郎/著
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人名ヨミ |
サントウ ナツオ |
出版者・発行者 |
和泉書院
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出版者・発行者等ヨミ |
イズミ ショイン |
出版地・発行地 |
大阪 |
出版・発行年月 |
2015.11 |
ページ数または枚数・巻数 |
17,1116p |
大きさ |
22cm |
価格 |
¥18000 |
ISBN |
978-4-7576-0762-0 |
ISBN |
4-7576-0762-0 |
分類記号 |
919.4
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件名 |
五山文学
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内容紹介 |
中世禅僧が詩を作るに至った理由を、仏教の言語理論に基づいて分析。併せて、歌論・能学論との交叉関係を視野に入れ、中世の文藝理論及び古典論一般へと展開し、古典文学研究者という主体の歴史的構築性等も問い糾す。 |
著者紹介 |
1974年沖縄県生まれ。広島大学大学院社会科学研究科(現、総合科学研究科)国際社会論専攻(日本社会研究)修了。博士(学術)。南臺科技大學應用日語系/應用日語研究所助理教授。 |
言語区分 |
JPN |
タイトルコード |
1009811962986 |
目次 |
方法序説 禅僧はなぜ詩を作ったのか |
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1 序/2 リテラシー選良としての禅僧/3 儒学と仏学の(再)雑婚化/4 中華グローバリゼーションとローカリティの生成/5 高等研究教育機関としての禅林/6 「五山文学」に対する知的関心の形成過程とその前提的偏見/7 われわれはなぜ禅僧の詩作行為を“不自然”だと感じるのか |
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Ⅰ 禅において言語とは何か |
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1 緒言/2 言語×定式=苦しみ/3 二元論でもなく/あり、一元論でもなく/あり…/4 禅における<詩>の生成原理 |
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Ⅱ 中世禅林詩学における言語(の<外部><彼岸>)への視座 |
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1 緒言/2 <外部>論の不可能性/3 <語りえぬもの>を語らないことは可能か/4 内部と<外部>の不均衡な呼応関係/5 秘匿的に遍在する<心> |
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Ⅲ <活句>考 |
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1 発端/2 なぜ禅僧の言葉は奇抜なのか/3 なぜ禅僧の言葉は難解なのか/4 変化の詩学 |
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Ⅳ 詩を詠むのは誰か |
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1 序/2 我と<渠>の不均衡な呼応関係/3 「我」の完全なる無能性/4 「多聞」という生の相貌/5 <他者>の流出 |
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Ⅴ 非-人称(変身)の詩学(i) |
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1 序/2 詩人の仮面-人格/3 メタノエシス的原理としての<心> |
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Ⅵ 非-人称(変身)の詩学(ii) |
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1 序/2 「我」ならざる<我>/3 死線の彼岸に詩う無響の声/4 妙という裂け目/5 歴史化された名 |
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Ⅶ 法の<外>へ/から |
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1 序/2 法執行=審判の恣意性/3 <幼児性>と信じること/4 絶対的に<正>であること |
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Ⅷ 漂泊する規範 |
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1 序/2 「五山文学の母体」/3 正符号(+)としての「拙」/4 「宋末」という転回点/5 発見された先駆、ならびに「巧」の復権/6 無視-隠蔽されたテクスト/7 「近代」の宗教言説の中で |
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<補論>南宋-元における詩学をめぐる言説編制 |
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1 序/2 宋代における詩学の変遷/3 南宋末期の文学現象/4 浙閩地域における「唐律」の復興について |
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Ⅸ 「漢字文化圏」の解体-再構築 |
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1 前言/2 「文言」は「中国語」か/3 不均質な音声空間/4 雑音空間としての禅林/5 透明化された空間/6 小結 |
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Ⅹ 文学現象における「雅/俗」という二分法の機制について |
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1 前言/2 「俗」(ローカリティ)の生成と排除の機制/3 「俗」への讃美、声への回帰/4 小結 |
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結びに代えて |
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1 <他者>を「理解する」ことの不可能性、不可避性、そして原-暴力性/2 古典の拡張と消失/3 「日本古典文学研究」という装置に附帯する二つのコンプレックス/4 過去のテクストを読むという行為に附随するオリエンタリズム/5 「近代」は到来したのか/6 戦前になぜ「古典」が求められたのか/7 <古典-死者の声>をいかにして聞くか |