書誌種別 |
図書 |
タイトル |
近代教育思想の源流 |
サブタイトル |
スピリチュアリティと教育 |
タイトルヨミ |
キンダイ キョウイク シソウ ノ ゲンリュウ |
サブタイトルヨミ |
スピリチュアリティ ト キョウイク |
人名 |
菱刈 晃夫/著
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人名ヨミ |
ヒシカリ テルオ |
出版者・発行者 |
成文堂
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出版者・発行者等ヨミ |
セイブンドウ |
出版地・発行地 |
東京 |
出版・発行年月 |
2005.4 |
ページ数または枚数・巻数 |
4,335p |
大きさ |
22cm |
価格 |
¥3500 |
ISBN |
4-7923-6082-X |
分類記号 |
371.2
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件名 |
教育学-歴史
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内容紹介 |
西洋近代教育思想の源流はどこに求められるのか。スピリチュアリティのクオリアが生成してくる「わたし」の存在位置を明らかにした上で、その系譜をルターとメランヒトン及びその周辺を中心にプラトンからフランケまでたどる。 |
言語区分 |
jpn |
タイトルコード |
1009810741770 |
目次 |
序章 スピリチュアリティの位置づけ |
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1節 <わたし>の心の位置-ポパーの3世界論を手がかりに-/2節 《世界3》のリアリティからスピリチュアリティへ/3節 スピリチュアリティのクオリア |
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1章 基礎づけ主義の教育思想再考(1) |
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1節 プラトン/2節 プロティノス/3節 オリゲネス |
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2章 基礎づけ主義の教育思想再考(2) |
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1節 ニュッサのグレゴリオス/2節 アウグスティヌス/3節 アルクイヌスとサン・ヴィクトルのフーゴー |
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3章 エックハルトにおける「観想の生」と「活動の生」 |
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1節 『教導講話』における「観想の生」と「活動の生」/2節 「行為」に対する「存在」の優位/3節 「離脱」-コンテムプラーチオーが目指すもの- |
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4章 タウラーにおける「底」への還帰 |
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1節 「底」への還帰/2節 業においてはたされる責任/3節 「高貴な人間」の陶冶 |
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5章 タウラーにおける「聖なる狩り」 |
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1節 「イエスは出て行き…」における「狩り」/2節 「喉が渇く者は…」における「狩り」/3節 「私の肉を食べ…」における「狩り」 |
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6章 ルターにおける苦悩と人間生成 |
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1節 臨床教育学の本質/2節 苦悩への応答者としてのルター/3節 カテキズムの原型 |
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7章 ルターにおける生成としての教育 |
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1節 ルターにおけるキリスト者の生成/2節 生成を引き起こす教師としての神-キルケゴールの場合-/3節 カテキズムによる教育 |
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8章 メランヒトンの教育活動 |
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1節 「発達としての教育」と「生成としての教育」/2節 教育計画/3節 教科書編著者としてのメランヒトン |
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9章 メランヒトンの学習計画 |
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1節 子どもの教育の位置/2節 学校の位置と理念/3節 ポーランドのアンドレアにあてた学習計画 |
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10章 メランヒトンのカテキズム |
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1節 義認と聖化-キリスト教的人間の「再生」-/2節 カテキズムの構成・内容・方法/3節 律法の第3用法(教育的用法) |
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11章 メランヒトンのアニマ論 |
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1節 『魂についての書』の内容/2節 意志について/3節 「心(臓)」の機能について |
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12章 メランヒトンにおけるスピリトゥス |
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1節 スピリトゥスとは/2節 スピリトゥスと聖霊/3節 聖霊による再生 |
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13章 メランヒトンにおける神と自然と教育 |
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1節 神と自然/2節 自然学-占星学を中心に-/3節 キリスト教信仰と自然探究 |
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14章 17世紀教育思想の地下水脈 |
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1節 汽水域としての17世紀/2節 アナロジーが根ざす自然観/3節 パラケルススにおける「種子」 |
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15章 ベーメにおける神と悪の意義 |
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1節 ベーメにおける神/2節 悪の意義/3節 フレーベルとのかかわり |
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16章 フランケにおける心の養育 |
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1節 「再生」と「更新」の人間論/2節 カテキズム-祈りへの教導-/3節 「心」の養育の可能性と限界 |
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終章 スピリチュアリティと教育 |
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補遺1 教育と悪に関する一考察 |
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1節 悪の可能性/2節 ルターの場合/3節 悪の自覚の現代的意義 |
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補遺2 教育における機心について-鈴木大拙を手がかりに- |
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1節 機心ということ/2節 教育的機心の背後にある教育万能主義/3節 霊性の自覚 |