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資料の状態
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No. |
資料番号 |
資料種別 |
請求記号 |
配架場所 |
状態 |
貸出
|
1 |
0004432357 | 図書一般 | 760.8/ヤマ01/2 | 書庫 | 貸出可 |
○ |
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書誌情報サマリ
タイトル |
山田耕筰著作全集 2
|
人名 |
山田 耕筰/[著]
|
人名ヨミ |
ヤマダ コウサク |
出版者・発行者 |
岩波書店
|
出版年月 |
2001.6 |
書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
書誌種別 |
図書 |
タイトル |
山田耕筰著作全集 2 |
タイトルヨミ |
ヤマダ コウサク チョサク ゼンシュウ |
人名 |
山田 耕筰/[著]
後藤 暢子/編
団 伊玖磨/編
遠山 一行/編
|
人名ヨミ |
ヤマダ コウサク ゴトウ ノブコ ダン イクマ トオヤマ カズユキ |
出版者・発行者 |
岩波書店
|
出版者・発行者等ヨミ |
イワナミ ショテン |
出版地・発行地 |
東京 |
出版・発行年月 |
2001.6 |
ページ数または枚数・巻数 |
729p |
大きさ |
23cm |
価格 |
¥16000 |
ISBN |
4-00-092432-X |
分類記号 |
760.8
|
件名 |
音楽
|
内容紹介 |
山田耕筰の音楽作品を除外した著作を、主題別にまとめ編集した初の全集。第2巻には、現代の大作曲者に対する印象、未刊の随筆、『詩と音楽』の編集後記、などを収録する。 |
言語区分 |
jpn |
タイトルコード |
1009810273957 |
目次
内容細目
-
私の観た現代の大作曲者
7-82
-
-
朗詠と曲譜
83
-
-
昔の管絃楽と今の管絃楽
84
-
-
振はなかつた楽壇
85-86
-
-
「スクリアビンとディゥビゥッスィーの夕」を聞いて
87-93
-
-
佐藤謙三君を聴いて
94-97
-
-
上野の森の樹へ
98-101
-
-
アメリカの音楽
102-104
-
-
演奏に際して
105-106
-
-
「アイーダ」細評
107-109
-
-
「カルメン」細評
110-115
-
-
露国公爵夫人の独唱を聴く
116
-
-
丁抹の楽人ロランジ氏
116-117
-
-
傍註を辿つて
118-119
-
-
ニジンスキーの舞踊を観た記憶
120-121
-
-
各部の不統一が最大の欠点
122
-
-
兵卒のない我が楽団
123-124
-
-
ジャヅ音楽の流行を看る
125
-
-
禽獣の舞踊と植物の舞踊
126-128
-
-
純舞踊のために「書き卸し」の音楽
129-130
-
-
提琴家ヂ氏に就て
131-132
-
-
私がマンハツタン歌劇場で観た「お蝶」・三浦環夫人の技倆
133-134
-
-
酒よりも恐い流行のダンス
135-136
-
-
貧しい乍ら幸福な日本の音楽界
137-139
-
-
松島彜子氏作品発表会を聴きて
140-143
-
-
大提琴家ピアストロ氏
144
-
-
文化学院女生徒の舞踊
144
-
-
一隅より
145-146
-
-
楽団に見る各国気質
147-149
-
-
パヴロワの本質
150
-
-
トーダンスの世界的名手パヴロワ夫人
151-153
-
-
ペタル使用の名手ゴ氏
154
-
-
新舞踊に対して
154
-
-
楽界を顧みて
155-157
-
-
私の見る小倉末子氏
158-159
-
-
伊太利歌劇を聴いて
160-162
-
-
私の見たるクライスラー氏
163-164
-
-
音楽と蓄音機
165-167
-
-
蓄音機の効果
168-170
-
-
蓄音機の欠点
上
171-172
-
-
新条約で楽壇にも春は近づく
173
-
-
美しい椿姫
174-177
-
-
我徒の抱負
178
-
-
カーピ歌劇団批評
179-181
-
-
日露交驩交響楽祭に際して
182
-
-
日露交驩交響楽祭
183-184
-
-
音楽の最高価値は交響楽的管絃楽
185
-
-
ラヂオ放送雑感
186-187
-
-
彼の光りの半面
188
-
-
交響楽の悲鳴
189-190
-
-
交響楽の悩み
191
-
-
現在の日本楽壇
192-197
-
-
将来楽壇の年中行事に
198
-
-
交響楽の烽火
199
-
-
ス氏と私との仲
200-201
-
-
楽壇回顧
202-203
-
-
宗教音楽の将来
204-205
-
-
日本人にあふやうな国民的歌劇がほしい
206
-
-
関屋敏子を聴く
207-208
-
-
自作「堕ちたる天女」上演所感
209-212
-
-
永田竜雄君に答ふ
213-216
-
-
一九三〇年への待望
217-221
-
-
楽壇よ展開せよ
222-223
-
-
眼から耳の時代へ
224
-
-
劇場音楽の将来
225-226
-
-
歌劇時代来る
227-228
-
-
歌劇「お蝶夫人」と日本娘の貞操
229-230
-
-
歌劇の新しき路
231
-
-
ソヴエート音楽の印象
232-235
-
-
「デイスク芸術」と文化浪花節
236-237
-
-
ピアノの伴奏で大衆向きの新浪曲
238
-
-
「三文オペラ」の問題
238
-
-
ディスク芸術・トーキー・その他
239-243
-
-
「人生案内」への「案内」
244
-
-
紫雲英田
245
-
-
霊で歌ひ語る声
246
-
-
作曲家放送料の問題批判
247-248
-
-
歌劇台本の募集について
249-250
-
-
鬼才ムソルグスキーの楽劇
251-252
-
-
大衆の間に起きて来たオペラへの興味
253-254
-
-
トーキーの音楽
255-256
-
-
外人芸術家の眼に映る日本人の現実の姿
257
-
-
新劇と落語家
258-259
-
-
「カルメン」上演に就て
260-262
-
-
「音楽劇」への道
263
-
-
「カルメン」の新演出について
264-265
-
-
ダンチェンコと私の場合
266-268
-
-
楽聖映画の流行
269
-
-
フランツ・ラハナー紹介
270
-
-
映画音楽論
271-273
-
-
「新しき土」の作曲記録
274-276
-
-
映画音楽に就て
277-280
-
-
再びピアストロを迎へて
281
-
-
音楽行脚の旅を終へ作曲慾に燃える
282-283
-
-
欧洲より帰りて
284
-
-
欧洲楽壇の動向
285-286
-
-
滞独雑感
287-291
-
-
帰朝随想
292-293
-
-
シネ音楽私見
294-295
-
-
ナチ独逸人を語る
296-300
-
-
時局を語る
301-304
-
-
音楽外交
305
-
-
戦争交響楽
306-307
-
-
将来の音楽への希望
308-309
-
-
耳の時代
310
-
-
巷の外交論
311-312
-
-
歌劇「夜明け」の後書
313-319
-
-
国民音楽の樹立
320-321
-
-
「夜明け」その他
322-324
-
-
呉泰次郎君の声明書に就て
325-326
-
-
国民歌劇
327
-
-
歌劇運動の方向
327-328
-
-
日本交響楽運動の思ひ出
329-332
-
-
音楽家の臨戦態勢
333
-
-
大東亜戦争と音楽家の覚悟
334-335
-
-
大東亜音楽興隆に
336
-
-
結ばれた二万の心
337
-
-
大東亜音楽建設の第一歩
338-342
-
-
決戦下楽壇の責任
343
-
-
米英撃滅の為の音楽文化戦線の確立強化
344-345
-
-
敢へて叫ぶ
346
-
-
大衆生活と音楽
347-348
-
-
音楽の総てを戦ひに捧げん
349-350
-
-
日本楽壇の現状
351-352
-
-
国民音楽創造の責務
353-355
-
-
国民の血の中へ
356
-
-
音楽人の進路
357
-
-
戦意昻揚に独創性
358-359
-
-
敵米国の音楽観と我等の進撃
360-365
-
-
果して誰が戦争犯罪者か
366
-
-
選者の言葉
367-368
-
-
放送大学の開設を提唱する
369-370
-
-
放送大学をつくれ
371
-
-
ユーディ・メニューヒン
371
-
-
ローゼンシュトック氏を招く
372
-
-
才能教育の是非
373
-
-
音楽を心の糧として…
374-375
-
-
四十年の歴史をもつ…
376
-
-
ジャズと純音楽
377-378
-
-
黒船雑抄
379
-
-
「君が代」に対する私見
380-382
-
-
日本の歌謡
383-384
-
-
フルトヴェングラーの思い出
385
-
-
新春の言葉
386-392
-
-
音楽と演劇の結びつき
393
-
-
忘れえぬ「法悦」
394-395
-
-
タッカーを聴いての所感
396-397
-
-
オペラ劇場建設について
398-399
-
-
実った善意のウソ
400-401
-
-
いま一度魂の世界を
402
-
-
一九五七年の課題
402-403
-
-
トスカニーニの一断面
404
-
-
驚くべき記憶力
405
-
-
一九三一年と三二年の…
406-407
-
-
民衆とのアンサンブル
408
-
-
レニングラード交響楽団を聴いて
409
-
-
レニングラード交響楽団を迎えて
410
-
-
リカルド・サントスを迎えて
411
-
-
二三日前の晩でした…
412-413
-
-
日本オペラに望む
414
-
-
オペラ上演におもう
415-416
-
-
日本音楽と西洋音楽とを…
417-418
-
-
伯林の王立劇場
419-421
-
-
ブルッフ氏とダンカン夫人
422-426
-
-
音楽に志す若き人々へ
427-431
-
-
舞踊劇の将来
432-435
-
-
管絃楽とは如何なるものか
436-439
-
-
私のいふ本当の歌劇
440-447
-
-
有名の空名
448-453
-
-
家庭に於ける音楽の必要
454-456
-
-
西洋音楽の聴き方
457-460
-
-
イサドラ・ダンカン女史
461-465
-
-
ヤシヤ・ハイフエッツ君に
466-470
-
-
私のいふ芸術教育
471-476
-
-
西洋音楽の聴き方
477-484
-
-
旋律の誕生とその生ひ立ち
485-486
-
-
炉辺楽話
487-494
-
-
揺籃歌から
495-497
-
-
魔王的ピアニスト・レオ・シロタ氏に就て
498-500
-
-
私が教師なら
501
-
-
「楽劇協会」と「堕ちたる天女」
502-504
-
-
心の準備
505-506
-
-
トスカニーニの眼、頭、耳
507-508
-
-
ソヴエート音楽の旅
509-528
-
-
「薔薇の騎士」の初演を見る
529-530
-
-
子供とおつたん
531-532
-
-
洋楽夜話
533-541
-
-
洋楽夜話
続
542-547
-
-
シネ・オペレツタ「みどり」
548-550
-
-
音楽を志す人へ
551-554
-
-
芸術と生活
555-556
-
-
歌劇「夜明け」について
557-560
-
-
オペラは祟る
561-565
-
-
音楽者の耳
566-573
-
-
「南蛮寺門前」と私
574-577
-
-
放送と音楽と私
578-579
-
-
よく歌われる私の曲
580-584
-
-
ソヴィエート交響楽団の印象記
585-589
-
-
女性の自我と芸術
590-594
-
-
歌と祈り
595
-
-
詩と音楽の一断面
596-597
-
-
セルゲイ・プロコフィエフを想う
598-599
-
-
われらの歌をつくるために
600-607
-
-
オペラ運動四十年
608-611
-
-
オペラと私
612-619
-
-
人間に必要な音楽
620-621
-
-
白秋と露風のこと
622-627
-
-
想い出のベルリン・フィルハーモニー
628-632
-
-
レニングラード楽団と私
633
-
-
芸術に国境なし
634
-
-
昭和、大正、明治の…
635-637
-
-
赤とんぼの幻影よサヨナラ!
638-639
-
-
楽人十話
640-660
-
-
芸術と芸能と
661-662
-
-
一言にして言えば…
663-666
-
-
「詩と音楽」編輯後記
667-696
-
-
「交響楽」巻頭言及び編輯後記
697-716
-
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