蔵書情報
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資料の状態
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No. |
資料番号 |
資料種別 |
請求記号 |
配架場所 |
状態 |
貸出
|
1 |
0002039402 | 特別郷土 | KW210/1/ | 貴重書庫 | 禁帯出 |
× |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
書誌種別 |
郷土図書 |
タイトル |
嘉政伝聞録断片 |
タイトルヨミ |
カセイ デンブンロク ダンペン |
人名 |
鴨井 熊山/自筆
|
人名ヨミ |
カモイ ユウザン |
出版者・発行者 |
[鴨井熊山]
|
出版者・発行者等ヨミ |
カモイユウザン |
出版地・発行地 |
[製作地不明] |
出版・発行年月 |
[18ーー] |
ページ数または枚数・巻数 |
5枚 2冊 |
大きさ |
31cm |
価格 |
頒価不明 |
注記 |
書写資料 CD-1179 M-137 |
分類記号 |
210
|
内容紹介 |
この資料の筆者は鴨井熊山(耕太郎)である。熊山は享和3年(1803)に児島郡浦田村(現倉敷市)に生まれた。文政元年(1818)岡田藩に寄宿し、陶伯温に師事した。文政5年(1822)から文政9年(1826)までは菅茶山の廉塾に入塾していた。文政10年(1827)昌平黌に入学、古賀■庵(どうあん)(※)の教えを受けるが、父兵助の容体が悪いため帰省した。文政12年(1829)昌平黌に再入学。この年、後に熊山の墓碣銘の文章を書いた森田節斎も昌平黌に入った。熊山は天保3年(1832)10月昌平黌を辞し、郷里に帰った。天保10年(1839)2月池田出雲政徳(天城池田家)から天城学堂での書生教授を依頼され、同年4月に孟子序説の講釈を行った。以後定期的に天城学堂に出仕した。天保12年(1841)三人扶持、嘉永5年(1852)正月弐拾弐俵弐人扶持領奉行支配中小姓になった。安政2年(1855)熊山は池田出羽政昭(天城池田家)に従い、房総警備第一陣と交代するために北條陣屋へ入った。岡山藩は安政元年(嘉永7年、1854)から北條陣屋(千葉県館山市)と竹ヶ岡陣屋(千葉県富津市)に人員を派遣していた。第一陣の家老伊木若狭忠澄は江戸にいることが原則であったため北條陣屋は丹羽廣人、竹ヶ岡陣屋は土肥右近が現場責任者であった。「白濱應接語録」、「御咄之覚書」(インターネット非公開)、「アメリカ人酋長之肖像」は白濱法界寺にいた湯本癡山がアメリカ人に出会った際の問答と癡山が描いた図を熊山が記録したものである。白濱村(現千葉県安房郡白浜町)は岡山藩預所であった。安政3年(1856)熊山は任務を終えて池田出羽とともに帰郷した。安政4年(1857)熊山は病に犯され死去した。享年55。(※)■の文字は左がイで、右が同、読み方は「どう」 |
言語区分 |
jpn |
タイトルコード |
1009810226561 |
目次
内容細目
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