蔵書情報
この資料の蔵書に関する統計情報です。現在の所蔵数 在庫数 予約数などを確認できます。
資料の状態
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
資料番号 |
資料種別 |
請求記号 |
配架場所 |
状態 |
貸出
|
1 |
0000805937 | 図書郷土 | KM160/1/ | 貴重書庫 | 禁帯出 |
× |
この資料に対する操作
カートに入れる を押すと この資料を 予約する候補として予約カートに追加します。
いますぐ予約する を押すと 認証後この資料をすぐに予約します。
※この資料は予約できません
この資料に対する操作
電子書籍を読むを押すと 電子図書館に移動しこの資料の電子書籍を読むことができます。
書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
書誌種別 |
郷土図書 |
タイトル |
備前邑久海湾開墾見込略図 |
タイトルヨミ |
ビゼン オクカイワン カイコン ミコミ リャクズ |
ページ数または枚数・巻数 |
図1枚 |
大きさ |
29×40cm |
注記 |
縮尺1:10,000 CD-87 M-なし |
分類記号 |
160
|
内容紹介 |
この図は錦海湾塩田化の計画図だと考えられる。九百間と記された赤点線は堤防の位置である。牛窓村(現牛窓町)、長浜村(現牛窓町)、尻海町(現邑久町)の村境が記され、村域も色わけされている。尻海町の海の字を浜の字で表記していたために2ヶ所訂正している。微力社は西毅一、谷川達海、中川横太郎などを中心に旧岡山藩士族によって士族授産の目的で組織された。微力社副社長西毅一と署名があり、印鑑には毅弌とある。明治13年(1880)7月14日付山陽新報には7月11日の微力社の集会で邑久郡長浜干潟開墾の願書と図面が示され、西毅一も臨席していたという記事が掲載されている。明治14年(1881)、微力社の開墾計画は具体化するが、結局計画倒れになった。西毅一の微力社副社長時代がいつだったのかは判然としない。微力社は明治13年6月から明治15年(1882)9月(微力社は有終社と改称)まで存在しており、明治15年9月までに社長が西毅一から花房端連に交代している。したがってこの図は明治13年6月から明治15年の間に作成されたものだと考えられる。 |
言語区分 |
jpn |
タイトルコード |
1005110040495 |
関連URL |
http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2004093016425842326
|
目次
内容細目
関連資料
この資料に関連する資料を 同じ著者 出版年 分類 件名 受賞などの切り口でご紹介します。
もどる