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書誌情報サマリ

タイトル

興除新田全図

出版年月 1831(天保2)


書誌詳細

この資料の書誌詳細情報です。

書誌種別 郷土図書
タイトル 興除新田全図
タイトルヨミ コウジョ シンデン ゼンズ
出版・発行年月 1831(天保2)
ページ数または枚数・巻数 絵図1枚
大きさ 78×176cm(折りたたみ22×11cm)
注記 C-82 M-なし
分類記号 100
内容紹介 この図は天保2年(1831)2月に小森可儀によって写されたものである。図を写した場所は興除新田曽根(現岡山市曽根)で、その日は雨が降っていた。小森可儀は天保2年正月6日に御普請加奉行直勤となっており、何らかの理由で興除新田曽根に出張していたと考えられる。可儀は当時38歳で、180石の知行高であった。興除新田の開発は元禄年間(1688〜1704)に津田永忠によって計画されて以来、何度か挫折している。宝暦8年(1758)の裁許絵図裏書が「興除新田紀」に掲載されている。この裏書により備前備中国境が確認された。また興除新田として開発されることになる海は備前の海だが備中の地先でもあるので新田開発は幕府の命令がないとできないこと、完成した新田は幕領になることが決定した。文政2年(1819)備中国倉敷代官大草太郎右馬から岡山藩に新田開発についての話があり、文政3年(1820)幕府は岡山藩に「備前国児島海面附洲八百三拾町歩余之場所」の新田開発を命じた。従来、岡山藩が「備前一国一円」支配を主張してきたため開発された新田は備中国の岡山藩領12ヵ村と取り替えることになっていた。文政4年(1821)3月、国境の10ヵ所に杭を建てて開発工事を開始した。文政6年(1823)工事が終了し、検地を実施した。文政7年(1824)開発された新田(興除新田)は岡山藩領に、備中国の岡山藩領5092石余は幕領になったが、この幕領は岡山藩の預所とされた。文政5年(1822)開発中であった新田は小原大之介(梅坡)によって管子の「興利除害」という言葉から興除新田と名付けられた。
言語区分 jpn
タイトルコード 1005110040446
関連URL http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/kyo/M2004093016424042311



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